あなたは自己解決型?それとも他者依存型?
こんばんは。
今日は、自己解決型と他者依存型について書いていきたいと思います。
自己解決型というのは、己の努力によって変えることができるという思考です。
逆に他者依存型というのは、人生は運によって左右されることが多いという思考です。
あなたはどちらですか?
私は、自己解決型です。と言いたいところですが、自身の意見を通すことが苦手で、どうしても他者に流されやすい傾向にあります。
ある実験では
6人の被験者がいて、その6人が動画内で流れてくる二本の紐が同じ長さか、違う長さかを答える問題がありました。
その動画で流れる紐の長さは全く違うものでした。
他者依存型の人は、動画内で流れた紐の長さが明らかに違うと気づいていながら、最初の5人が同じだと言った際、半信半疑ながら違うと回答したのです。
逆に自己解決型の人は、他者の意見に流されず、自分の意見を通したと言います。
このように他者依存型の人は、周囲の意見や権力の強い人に流されやすい傾向があります。
また、自己解決型の人は、報酬を先送りにできる力が備わっています。
目先の報酬に流されず、先を見通して報酬を手にする力があるのです。
空気を読むことが美学だと教えられている日本では、他者依存傾向の人が特に多いようです。
自分の尺度を持ち、自己解決型で自分に責任を持って進む力を身に付けていきましょう!私も頑張ります。
それでは。
自分の性格って???
どうもこんばんは。
「現代人の性格は、30歳で石膏のように固まってしまうーウィリアムジェームス」
今日はこの言葉から始めさせていただきます。
あなたは内向的な性格ですか?外交的な性格ですか?
アメリカに「MBTIテスト」というものがあります。これは、「外交的、感情的、感覚的、判断的」の四つに性格を簡易に分類するテストで、世間一般でもかなり全米で流行ったそうです。
流行った理由としては、30分程度でできること、星占いのように診断ができる点であると考えられています。
しかし、このテストの結果で驚きなのは、1度目に外交的と診断されたとしても、二回目に行うと、別の診断が付く可能性があるということです。
性格診断とは、それだけ環境や対人に左右されやすいことが現れています。
性格診断をして、ある程度条件付きで出た結果の性格や傾向があるということは考えられます。また、その結果を受けて、行動を変化させ困難に対処しようとすることもできます。
たとえ自分の思い通りにならない性格診断が出たとしても、それに固執することなく自分の傾向として考えるのが妥当だと考えています。また、性格は変えられるとも言われています。
*詳しくは次回の記事で。
背伸びせず、一期一会を大切に。
あなたの隣にいる人はどんな人?
「人は誰でも、あらゆる人と似ていて、一部の人と似ていて、誰にも似ていない」
クライドクラックホーンより
いったいどれだけ本を読んだらこんな名言が出るのでしょうか。
今日は、他者のことをどのように自分は見ているかについて書いていきたいと思います。
自分のことをどのような人だと思っていますか?
友達や恋人のことをどのような人だと思っていますか?
例えば、レストランで見知らぬ人が、料理に対してクレームを言っているとします。
その人の行動を見て、あなたはその人をどう言った人だと感じますか?
ある人は、ただただ嫌悪感を抱いて、嫌な人だと感じるでしょう。
また、「今日は何か嫌なことが合ったのかもしれない」と思う人もいるかもしれません。
強気な人だ、男らしいと感じる人もいるでしょう。
これは、ある一編だけを見た人の評価にすぎませんが、人はその人の主観で評価が大きく変わります。
また、その評価というのは、自分をどのように見ているかが軸となっているのです。
悲観的に物事を見る人は、悲観的に見やすく、楽観的に見ている人は楽観的に見やすくなります。
また、一緒にいた友達がいたとしたら、その友達のことを考えて怒っているのかもしれません。
このように、環境によっても変わってきます。
評価基準は、たいてい形容詞で表現します。
「良い、悪い」「内向的、外交的」「差し込み口がある、ない」などです。
良い、悪いの評価はかなり広義な場面で使用できます。
一方差し込み口がある、ないはかなり限定的な意味合いで使われます。
内向的、外交的はその中間に当たります。
これらの基準を使って、客観的に判断しているように見えますが、評価している人の経験や感情が大きく影響して、「客観的な評価」となっているのです。
人の評価を気にしすぎる人がいます。
しかし、他者の評価は水もので、同じことをしていても日々評価は変化することを覚えておいたほうが良いと思います。
逆に、人の評価を気にする時間があったら、自分の評価基準をより細かく明確に見れるように鍛えておいた方が良いでしょう。
その細かい評価基準を自分に当てはめることができたら、誰よりも客観的に自分を見て、今の行動が果たして、悔いのない行動が取れているのか、判断できるはずです。
そうしたら、周囲を気にすることはなくなっていくのではないでしょうか?
大人のBPSDで悩む人たちへ
こんにちは。
今日は5月30日。「ごみゼロ(5.3.0)の日」です。
今日はごみゼロでいきましょう。笑
ということで、今日は大人のBPSDについて書いていきたいと思います。
SNSの進歩から様々な情報が飛び交うようになりました。これまで知られてこなかった発達障害や精神障害の分野も、ネットから容易に情報を得ることができるようになり、簡易的な診断基準から、「あれ?自分もBPSDかも・・・」と悩まれている方もいると思います。
以前、お笑い芸人、チュートリアルの徳井さんが、税金の未払い等で一時活動休止に追い込まれることがありました。
その結果、「そんな大事なことを先延ばしにし続けるなんてBPSDだ!」など世間の多くの人がつぶやき、話題になったことがありました。
そんな中、最近精神科医の樺沢先生のYouTubeでチュートリアル徳井さんがBPSDかどうかについての見解を述べている動画がアップされていました。
結論、樺沢先生は、「BPSDではない!」とはっきり述べられています。
その理由は二つあります。
一つは、本来、精神障害など診断する際、DSM-5、ICD−10という診断基準を使って医者は診断します。そこには、BPSD(注意欠陥性多動障害)の診断基準も入っているのですが、(詳しくは調べてみてください)チェック項目が10個ある中で、5個以上当てはまらないと診断されないものが、エピソードをいくつみても、2、3個しか当てはまらないとのことでした。
そして、もう一つこれが精神障害、発達障害の診断でもっとも重要な考え方なのですが、
たとえいくつ当てはまっていたとしても、生活に重大な影響がない限り、また今の生活が円滑に進まなくなるほどの問題がない限り、「病気」にはなり得ないようです。
人は誰でも得意、不得意があります。頭がいい人がいれば、運動が得意な人もいます。コミュニケーションが得意な人もいれば、苦手な人もいるでしょう。
覚えるのが苦手な人が発達障害ですか?コミュニケーションが苦手な人は発達障害ですか?違います。
たとえ苦手な分野があっても、その人に合った生活が出来ていれば、障害ではないのです。
チュートリアルの徳井さんが、仕事中に話の話題についていけずに周囲に注意が取られたり、漫才ができなくなったりするところを見たことがありますか?時間が守れなくて、何年もレギュラー番組を務めることができるでしょうか。
芸能界という厳しい世界で何年も戦うことができているということが、BPSDではないという一番の根拠ではないでしょうか。
確かに、先送りにする性格で合ったり、克服しなければいけないことではあると思います。ただ、断片的なエピソードでBPSDだ!と素人がいうのは、誹謗中傷するネット民と変わりないと私は思います。
運動が心も健康にする理由
こんばんは。
今日は、「運動が心も健康にする理由」について書いていきたいと思います。
5月も終わりに近づいてだんだん日差しが強くなってきましたね。
今日は私の住んでいる東海地方も25度を超えていたようで、外で運動するのも大変な季節になってきました。
今日も精神科で作業療法の活動を行なってきました。
今日は「てくてく」という活動で、その名の通り、グラウンドをひたすら歩くという活動です。
そんな活動の中で、ある患者さんがいった言葉があります。
「てくてくが一番楽しいんだよね。」
このかたはあまり自己表出をされない方なので正直びっくりしました。
歩くことが楽しい!?
私も運動は大好きですし、散歩も好きです。
でも、散歩やウォーキングはなぜ楽しいのでしょう。
もちろん運動不足の解消やダイエットなど体にいいのは間違いありません。
でも、心の健康にもいい影響が出るのはなぜでしょう。
私なりの結論は「出来る」からです。
当たり前だろ!と思ったあなた!では、あなたが好きなことや趣味はなんですか?
楽しい理由の一つとしてあげられるのは「出来る」ことが実感できるからだと思います。
心が病んだり、落ち込んでいる時って何をやっても自分はダメだと思ってしまうことが多いと思います。
でも、何かできることがあると、ちょっと自信がついたりしますよね。
散歩を失敗したことはありますか?そうなんです。散歩や歩くということに失敗はないんです。
必ず成功できて、新しい空気が吸えて、進んでいる感じがあるウォーキングってなんだか最強の心のケアに感じてきました。
もちろん人それぞれ感じ方は違いますし、好みがあります。
でも、散歩に近いことって、他にもあると思うんです。例えば読書。自分のペースでできる、失敗ってなかなかしませんよね。
こういったことを続けることも、心に対してのアプローチだと思っています。
話が若干それましたが、スポーツってできるから、また出来るようになるから楽しいんじゃないかって思います。
魅力的ですね。
作業療法士から見た「人」の見方
こんばんは。
今日は、ちょっと専門的な話になります。もし、現在仕事で人事についている方やパーソナルトレーナー、医療に従事している方など、目的があって人と関わることに携わっている人は、何か参考になれば幸いかなと思います。
私は現在精神科で作業療法士として働いています。
患者さんと関わる理由は、「今後対象者が少しでも生きやすくなるための援助」です。
これは、理学療法士、パーソナルトレーナー、柔道整復師、そのほかのスポーツや医療に関わっている人と目的は同じだと思います。
そんな中で、初めて関わる人とどのようにその人を見て、目標を共有していくかについて話していきたいと思います。
作業療法には「インテーク面接」というものがあります。
ここで、その人の人となりや現状、今後について話し、関わる目的を明確にします。
ここで一番大切なこと、それは
「不安を無くすこと」
です。人との関わりではもっとも重要なことかもしれません。会話をする中で、私自身もどんな人か知ってもらい、また相手がどんな人かを見極めながら話を進めていくのが大事だと考えています。
そのために、どういったところを評価していくのか。
まずは、「動機」です。病院であったら、なぜ入院に至ったのか、リハビリをするのか、相手の心身の動きのきっかけを探ることが重要であると考えます。
次に「主訴」です。
相手の困っていること、どうなりたいかを探る必要があります。
そして会話をする中で「理解力」「表現力」「性格」「社会性」などを見ていきます。
その中で、相手とコミュニケーションを取る時に、砕けた話し方がいいのか、堅く律儀に関わるほうがいいのか、楽しく関わることがいいのかを総合的に判断していきます。知的な人は、情報を多く伝えることがいいかもしれません。逆に気持ちの部分を押し出す方がいいかもしれません。
特に精神病院に入院してくる人は、人との関わりに敏感な人が多いです。
人と関わる上で、自分のスタイルを押し付けたり、カリスマ性を訴えることもある意味必要かもしれません。しかし、それは手段の一つで、相手を思いやることにはならないと思っています。
相手を見て、幅広く自分自身を使っていける人が、僕はスペシャリストであると考えます。
私もまだまだできていません。ペーペーです。
人を見る視点を増やし、自分自身の引き出しを増やすことが人と関わる技術を向上させるということなのではないでしょうか。
今回は、かなり偏った内容となってしまいましたが、相手を思いやりつつ人と関わることが楽しくなれば、今後も人間関係を良好に保っていける助けになるかもしれませんね。
それでは!
所属という名の安心感
今日は、最近学んだことを書いていきます。
皆さんはどういう時に安心しますか?
最近では、承認欲求に振り回されるなとか、個人で生きていく時代という話が出てきています。
ある認知症の患者がいました。
その方は、現役の頃は一生懸命仕事をしてきて、仕事というものが、家族の中でも職場の中でも役割として認識されていました。
その役割が、認知症になって突然なくなり、生きる意味を失ってしまったのです。
この役割がこの人にとっての所属感でした。
仕事をして、家族のため、人のためになることがこの人にとっての生きるということでした。
これって大半の人がそうなんじゃないかなと思います。
当たり前のことのようですが、今の様々な生き方が出てきている時代でも、根本はその人にとっての役割を全うすること、それが所属感で心の健康に繋がるんじゃないかと考えています。
所属感というのは、人に認められたり、居心地のいい場所であったり、そういった場所でも感じることができます。
しかし、この方のように、生き方時代が所属感に繋がっている人は強い人だなと感じました。
皆さんにとっての「所属感」や「安心」とはどのように考えますか?
コメントお待ちしております!
それではまた!